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胆振東部地震を通して僕が気づいたこと

北海道から明かりが消えた日

9月6日、胆振地方を震源とした最大震度7の未曾有の地震が北海道を襲いました。

僕が住む札幌市では最大震度6弱を記録。

深夜3時に突如起こった経験したことのない災害に初めて被災者になりました。

地震が起きた時は偶然にも起きていて、スマホからけたたましく緊急地震速報が鳴り響いたのでともかく驚いたのを覚えています。しかし一瞬自分が置かれた状況に理解できず、棚から落ちる小物や呆然と居間で大きく揺れる照明を眺めていました。

日頃起きないことや経験したことない事態が起きると、一瞬思考回路が止まるとはこのことなんだろうと思いました。

僕に直接的な人的被害はありませんでしたが、震源地付近では多くの方々の尊い命が犠牲になりました。とても胸が痛みます。

また、北海道全戸が停電となる「ブラックアウト」も起こりました。

二日間停電が続き不安な夜を過ごしました。

電気が復旧したときの感動はこの先もきっと忘れることはないと思います。

地震が起こった翌朝には地下鉄、電車、バス全ての交通インフラも全て途絶えました。空港が封鎖され、信号機は止まり、都市機能も失いました。

土砂崩れでなぎ倒された家々、液状化現象で一面が泥の海になった住宅地、ススキノ大交差点のネオンも消え、僕の知る北海道の当たり前の光景がそこにはありませんでした。

食材を求めて近所のスーパーへ行くと、空っぽになった陳列棚の横で列をなし並ぶ人々。僕もそこに並び自分一人の最小限の食材を購入しました。いつもは豊富にあるミネラルウォーターも真っ先に売り切れ。

僕の住むエリアでは断水にはなりませんでしたが、隣接する町内では断水が続き近所の公園は緊急の給水所と炊き出しの会場になっていました。

停電は続き、また夜が来て街は暗闇に包まれました。

急場凌ぎでランタンを灯す生活。

いつ電池がなくなるかも分からず、ラジオを持っていないため唯一の情報源となるスマホの充電を含め電源が近くになく、とてもストレスを感じるものでした。

実際、充電器や電源を求めて電気が復旧した地域へ移動する充電難民とも言える人たちが街には溢れかえっていました。

夜道やマンションの公共部は暗く足元が見えづらく怪我をしてもおかしくない状況でした。そんな時に、持ち運びがきくライトやバッテリーはとても重要であると感じました。

今後は防災意識をただすことが少しでもストレスを感じずに過ごすための心の安心にも繋がってくるとも思います。

被災して初めて気づけたこと

今までの僕は東日本大震災にしても、熊本地震にしても、テレビや新聞の報道一つのフィルターを通してしか見えていなかったその現実を、どこか他人事で済ませていたと思います。

同じ日本に居ながらも、あたかも別の国で起こっているかのように過ごしていました。

実際、周囲にも被災した人が身近に居ないこともあり中々実感が湧かず、被災された方には大変失礼ながらもそう感じていた僕がいました。

そして、まさか自分が被災するなんて想像すらしていなかった。

初めて自分の愚かさに気づけました。

当たり前のような日常は、実は当たり前ではないということ。

スイッチ一つで電気がつく、蛇口をひねると冷たい水が出る。

いかにそれが幸せなことなのかを現代社会の慣れの中で、僕自身すっかり見失っていたかもしれません。

だからこそ、今一度この地震での出来事を教訓にしたい。

北海道命名150周年を迎えた今年、先人たちが築き上げてきたものに感謝しながら、今という一瞬を大切にして生きていきたいと思います。

北海道の皆さん、共に頑張りましょう!

 

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